信念は貫きたいけれど

それは本当に大変なことなのだろう。
だろう、としかいえない。僕はなんやかんやでいろいろやってきたけど、実力とか実績とかを関係なしにして考えると、自信を持ってそういえるものが何一つ無い。
そう思っていたものが実は「偽装」で、単なる些細なプライドや虚栄心であったりするからだ。
そうして勝ち取った実績がいかに空しくつまらないものであるかは、幸い今までの経験から掘り出すことが出来る。





今日は練習はお休み。
特殊拡張のことを考え出すとなかなかまとまらないし*1、それ以前にAZIKそのものとか、AZIKを使ってどこかに活躍の場を求めていくとき(実証の場)のことを考え出すと頭が痛い。


しかしまだまだ茨ですらない。
はじめの一歩に過ぎないのだから。
議論さえも成り立たたず、完全に否定され、罵られ、嘲笑われ、チートや反則者卑怯者と言いふらされてなお、揺るぎないくらいじゃないとAZIKはやめた方がいいのだろうな。
と思った。


と同時に、僕はやっぱり「わかってほしい生き物」なんだなぁ、と。
某氏みたいにたった独りで突き進み、その孤独を感じさせる暇すらなく鍛錬に次ぐ鍛錬を繰り返し、そして最終的にトップランナーとなって勝利をもぎ取るほどの精神力と実行力は僕にはない。
尊敬やあこがれはあれどもそういうのは全然なくて。


修行みたいな感覚がまるでないんだもの。
単なる趣味。それはそれでいいだろう。楽しむだけ楽しんだらいいのだから。決して悪いことじゃない。
でも、単なる趣味で終わらせたいものと終わらせたくないものがある。
僕は後者でも、甘いから。しごいているように見えて、実際かなり自分に甘かったりするから。
僕が妥協しないときは、甘美の蜜を舐めているときだけだ。



「自分の立場を理解してもらおうとするとき、前提条件となるのはまず相手の立場を理解すること」
わかっちゃいるけど……と言っている間はわかっていないのだろうなぁ。



「タイピング界のために」とか大それたことを言っている奴(※僕のことです)に限って、全然方向違いなことをやっていたりするのはありがちなことで。



だがここで折れたらそれこそ、所詮その程度だったということ。
立ち止まって吟味することは大切だけど、まずは信じた道を歩みたい。
競うことは好き。僕の中では競うこと自体に喜びがある。だからこそ競技に夢中になれたし、冷めやすくもあった。
だが、今回は別かもしれない。


今回の歩みは、きっとそれだけでは乗り越えられないだろうな。
辛いことが何度もあって、
「たかが趣味でなんでこんなに辛い思いしなきゃいけないの」という単純思考を真っ向から消し去れるような、
その程度の覚悟は、片手で摘み取らなければならない。




※追記


そういえば、twitterでやりとりをしていて感じたんだけど、
必然的にそうなるとはいえ、
「悪意」の仮定を最大限に考慮しなければならない議論ってのは寂しいことこの上ない……。
それが建設的であるかないかは別にして。
つまり、しなきゃいけないときはしなきゃいけないんだけど。しょうがないよね。


仮にタイプウェルタイパーの多数がそういう方向でしかまとまり得ないならば、敢えてGANGASさんに提出する必要すら感じなくなってきたというのが正直なところ。
そんなのいつまで経ってもわかりっこないんだけどね。


タイプウェルに対する期待をGANGASさんひとりに押しつけるのも酷い話だよなぁ、と。
自分が出来ることなんて高がしれてるし。


自分の無力さが恨めしい。

*1:先週あたりから、打っていても、果たしてこの運指でいいのかという不安に陥りつつ練習していることもあって、ちっとも向上しない。意識が上に向かない。配列をカスタマイズすることのないQWEやJISやDvoをやっていたときには考えられない悩みだが……。